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親から自分をとり戻すための本―「傷ついた子ども」だったあなたへ (朝日文庫) | マーガレット ラインホルド, Margaret Reinhold, 朝長 梨枝子 |本 | 通販 | Amazon オメガデビルアキシャルアキシャル

親から自分をとり戻すための本―「傷ついた子ども」だったあなたへ (朝日文庫) 文庫 – 1999/6

5つ星のうち 4.4 8件のカスタマーレビュー

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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

子ども時代に親から受けた心理的ダメージが残されたまま大人になると、人は同じ痛みを子に再び与えてしまう。ありふれた様々な親子関係の内側で繰り返される悲しい連鎖に気づき、本当の自分を愛せるようになるには?イギリスのベテラン精神科医による深い洞察に満ちた書。


登録情報

  • 文庫: 385ページ
  • 出版社: 朝日新聞社 (1999/06)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4022612576
  • ISBN-13: 978-4022612571
  • 発売日: 1999/06
  • 梱包サイズ: 14.8 x 10.6 x 1.8 cm
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カスタマーレビュー

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5つ星のうち5.0大変よい状態でした。
2015年3月7日
形式: 文庫|Amazonで購入
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5つ星のうち5.0読みやすいわかりやすい
2004年4月19日
形式: 文庫
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0コメント| 28人のお客様がこれが役に立ったと考えています. このレビューは参考になりましたか?はいいいえ違反を報告
5つ星のうち5.0子供の人権を守ろう。
2009年7月4日
形式: 文庫|Amazonで購入
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5つ星のうち3.0期待していたほどでは・・・

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2009/08/15
Vol.69 編集者の「思うこと」

69.jpg

先日、新しい道路地図を買った。
実は今年になって夫婦でサイクリングを始めた。
カーナビがついている自動車とは違い、ちょっと遠出のサイクリングには地図が必需品だ。
今使っている地図は10年以上前に買った古い地図で、当時とは様子が変わってきた街もあるので、新しい地図を選びに行ったわけだ。
大型書店の地図コーナーには、道路地図だけでもたくさんの種類が置いてある。
都道府県別にバラ売りされているもの、関西で1冊にまとまっているものなど収録範囲の違いがあるのをはじめ、縮尺も1:8,000だったり1:15,000だったり、それ以上だったりと様々な種類があった。

興味深かったのは、例えば同じ1:10,000の地図でも、ある地図にはほぼ全ての交差点名が書いてあるのに、別の地図には大きめの交差点だけ名前が書いてあるなど、編集方針によって情報に差があったことだ。
細かいところまで書いてあるのは便利だけど、その反面ごちゃごちゃして肝心の道が見にくくなってしまう恐れもあり、しかしそのどちらにも良さがある。
地図は縮尺が同じならどれも同じだろうと思っていたのに、思いのほかバラエティに富んでいて、1冊1冊比較しながら編集方針の違いを確かめるのは、疲れるけど楽しい作業だった。

クラシックの楽譜も、有名な曲になると同じ曲でも色々な出版社から何種類もの楽譜が発売されている。
基本的にはどの出版社も音符そのものは同じだけど、それを校訂した人によってピアノの指使いやヴァイオリンの弓使いの指示がつけ加えられていたり、独自の表現方法が加えられていたりする。
演奏者はその中から、自分の好みに合った楽譜を選んで買うわけである。
逆に、そうした作曲者以外の人の味付けを排した「原典版」と呼ばれる楽譜も出ている。
これは出来る限り作曲者の直筆譜に基づき、作曲家の意図を忠実に再現することを目的とした楽譜である。
「原典版」は、曲本来の姿を知るためには非常に重要なものだ。

しかし話がややこしいのは、同じ曲でも複数の「原典版」が出版されていることだ。
例えば直筆譜が既に紛失しており、複数の写本しか残っていない場合や、いったん曲が完成した後、演奏時に新たに書き加えられた指示がある場合など、基礎となる一次資料が複数存在するケースがある。
そうした資料のどれを最重視するかは学者ごとに色々な考え方があって、その取捨選択によって複数の「原典版」が出来るのだ。
使う側からすると、原典と言うからにはひとつだけであって欲しいけど、何しろ何百年も昔のことだから、そう簡単にはいかないものらしい。

ところで、前々回の「思うこと」という記事で、僕はベートーヴェンの交響曲第9番を引き合いに出した。
その中で、第4楽章のクライマックス、オーケストラと合唱が全員で力強く伸ばすそのハーモニーの中で、なぜかティンパニーだけがひとり最弱音までディミヌエンド(だんだん弱く)していかなければならない、という箇所について書いた。
先日、その部分について編集部のスタッフから、「ベートーヴェンは何か意図があってやったことなんですよね、きっと」というコメントをいただき、僕の説明が不足していたことに気がついたので、ここで補足させていただく。

実はあれはベートーヴェンの意図ではない、とされている。
引用した岩城宏之さんの著書にも書いてあるのだけれど、ベートーヴェンの直筆譜にそういった指示はなく、初版の楽譜を発行する際に出版社が誤って付けてしまったものが、標準として広まってしまったようなのだ。
ベーレンライター社という出版社から出ている、最近の研究に基づいた「原典版」には、ティンパニーのディミヌエンドはなくなっている。
だから今では、文字通り全員でクライマックスを迎えることができるようになったわけだ。
天国の岩城さんもようやく満足しているに違いない。

ところが、である。
この有名曲にもやはり複数の「原典版」が存在し、最近ブライトコプフ社という別の出版社から出た新しい楽譜では、ディミヌエンドが復活しているというのである。
しかもティンパニーだけではなく、オーケストラ全体がディミヌエンドするのだという。
合唱だけが力強くハーモニーを歌う中で、オーケストラは全員で徐々に弱くなっていくのだ。
どうやら、もともとの楽譜にはディミヌエンドは書いてないものの、初演時のオーケストラのパート譜にベートーヴェン自身がディミヌエンドの指示を書き込んだという資料があるそうで、ブライトコプフ社はそれを採用したということらしい。
こうなってくると、どれが正しいのかわからない。
要するに、結局は作曲家の意図に忠実な原典版と言ってみても、数ある楽譜と同じように誰かの主観が入っているわけで、その誰かの主観を完全に排除することは不可能なのだろう。

地図の話に戻ろう。
サイクリング用に新しい地図を買ってきた僕は、新しい地図の優位性を確かめようと、家に帰ってから古い地図と見比べてみた。
すると古い地図には、土地の標高にあわせて陰影がついていて、山になっている部分が視覚的にパッとわかるようになっていることに気がついた。
自転車で走るときには、そこが上り坂なのか下り坂なのは大切な情報だ。
新しく買ってきた地図にも等高線が描かれているが、視覚的にはややわかりにくい。
ここにも出版社による編集者の方針の違いがはっきりと現れていた。
しばらくは古い地図も残しておいて、両方の情報を活用していくことになるだろう。

結局、地図にしろ楽譜にしろ、人が関わっている限りは、絶対に製作者の意図が入る。
でもそれは避けるべきものではなく、むしろ好ましいものだと僕には思える。
なぜならこれは、誰かの「思うこと」が形になって現れたものだから。
僕は、地図の世界にもそういう「思うこと」があることを知って、妙に感心した。

2009/08/15 12:00 | 音楽の話 | No Comments
2009/08/08
Vol.68 成層圏の彼方に

68.jpg

大学を卒業して3年、僕が大阪で一人暮らしをしていた頃の話。
ある日、近所の中古CDショップで「MAYNARD FERGUSON 1969」という古いカセットテープを見つけた。
どこかの業者からタダ同然で引き取ってきたのだろうか、ダンボールの中に同じカセットテープが何本も無造作に放り込んであった。
僕は当時クラシックをあまり聴かずに、ジャズにハマっていた時期で、メイナード・ファーガソンというトランペット奏者の名前は聞いたことがあった。
確かジャズ系のトランペット奏者で、ハイノートヒッターと呼ばれる、ものすごい高音を出すことで有名な人だったはずだ。
僕は数百円を払ってそのカセットを買って帰った。

脳天まで突き抜けるというのは、こういう事を言うんだろう。
1曲目、ジャズのスタンダード・ナンバー「テンダリー」で高らかに登場する、ファーガソンの信じられないようなハイノートに、僕はまさにノックアウトされた。
こんなにでかくて輝かしくて高い音のトランペットは今まで聴いたことがなかった。
それ以来、僕はファーガソンのCDを買い漁るようになった。

ファーガソンの代表的名演。ウエスト・サイド物語より「マリア」

僕は時々、クラシックの演奏家に比べてジャズの演奏家はいいよぁと思うことがある。
クラシックの場合、曲そのものは楽譜によって全ての音が決まっていて、変えることはできない。
だから楽譜に書いてあることが演奏できなくなったら、演奏家としては引退するしかない。
自分に演奏出来る曲を選んだり、作曲家に新曲を書いてもらったりすることは可能だけど、どっちにしても楽譜に書かれたフレーズから逃れることはできない。

でも、ジャズはもっと自由だ。
ファーガソンのようなハイノートヒッターもいれば、中音域でしっとりと奏でる奏者もいる。
滅茶苦茶指が回る超絶技巧ピアニストもいれば、ポロンポロンと少ない音数によって空間で語るスタイルのピアノもある。
極端に言えば、最初と最後に出てくるテーマのメロディさえ演奏できれば、あとはそれぞれに特徴を生かしたアドリブを組み立てればいいし、歳をとって若い頃のような演奏が出来なくなったら、年相応にモデルチェンジすればいいのだ。
もちろん言葉で言うほど簡単なことじゃないと思うけど、それでも、やりたくなければやらなくてもいいという自由さが、クラシック側から見るとうらやましいと思ったりする。

ファーガソンは13人程度の比較的少人数のコンパクトなバンドを率いて演奏していた。
彼のバンドは純粋なジャズではなく、ジャズにロックのテイストを加えた今風のスタイルで、カッコいいバンドサウンドをバックに、ファーガソンがステージの真ん中でソロを吹く。
彼の最も有名なナンバーは「ロッキーのテーマ(Gonna Fly Now)」であり、日本ではそれ以上に有名なのが「アメリカ横断ウルトラクイズ」のテーマ曲として使われた「スタートレックのテーマ」だろう。
いずれも「成層圏を突き抜ける」と形容された、ファーガソンのハイノートの魅力が詰まっている。

ファーガソンは観客が何を求めているのか、自分に与えられた役割を完璧にわかっていた。
自分がソロを吹く前には、構えたラッパを一度斜め45度に振り上げ、それから振り下ろすようにして吹き始めた。
ソロの最後に超高音を吹ききった後は、オーバーアクションで両手をブハッと広げ「どうだ!」と言わんばかりにアピールする。
そして自分が演奏しないときには、バンドマスターとして腰を振って踊るようにノリノリで指揮をする。
ファーガソン以上に高音を出せる人は山ほどいるけど、その高音を彼ほどエンターテインメントとして魅せようとした人はいないんじゃないだろうか。

数ある「ロッキーのテーマ」の中でも最もホットな演奏

僕は最近になって、インターネットの動画サイトをよく見ている。
動画サイトには色々な時代、色々な場所での演奏が投稿されている。
ファーガソンの代表曲「ロッキーのテーマ」も、色々なステージでの演奏を見ることができる。
絶好調のときもあれば、それほどでもないときもある。
それらの演奏を見れば見るほど、僕はますます彼の凄さを感じるのだ。

ファーガソンは自分のプレイを売りにして、世界中でショウを行っていた。
彼は単なるバンドの花形プレイヤーではなく完全な主役であり、観客はメイナード・ファーガソンを見に来ている。
超人的なハイノートを、調子がよかろうが悪かろうが関係なく、それを期待して集まったファンのために毎日吹き続けなければならない。
あの突き抜けるような高音が吹けなかったら、エンターテインメントとして成立しないのだ。
ジャズの方が自由でいいよなぁなんてぼやいてみたこともあったけど、そのプレッシャーたるや、クラシック演奏家の比ではないじゃないか!

2006年9月、メイナード・ファーガソンが8年ぶりに来日するというニュースを知った。
彼はもう78歳になっていたけど、(恐ろしいことに)まだまだ健在だという話だった。
関西での公演はなく、長野県の菅平高原というのがネックだったものの、僕は恐らく最初で最後になるだろうファーガソンの生コンサートをぜひ見てみたいと思った。
しかし来日まで1ヶ月を切った8月下旬、健康上の理由により全公演中止との発表があり、がっかりしたのも束の間、そのわずか2日後の8月25日、メイナード・ファーガソンの訃報が全世界を駆け巡った。
僕は永遠にファーガソンを見る機会を失ってしまった。
悲しみというよりも、心にぽかんと穴が開いたようだった。

ファーガソンは死の直前までステージの真ん中で、ハイノートヒッターとして観客の期待にこたえ続けた。
こんな超人はもう現れないんじゃないだろうか。
メイナード・ファーガソンが成層圏の彼方に旅立って3回目の夏が来る。


【参考リンク】
・Maynard Ferguson Theme From Star Trek 1977-1992,1998 TRANS AMERICA ULTRA QUIZ [youtube]

 「アメリカ横断ウルトラクイズ」の懐かしい映像と共に。「ニューヨークへ行きたいかー!」

2009/08/08 12:00 | 音楽の話 | No Comments
2009/08/01
Vol.67 思い込みとは恐ろしい

67.jpg

男は昔から、女性の年齢を聞いてはいけないことになっている。
最近はアラサーだアラフォーだと自分から歳を明かす女性も増えたけど、それでもアラサーの中には4~5歳程度の幅があるわけで、やっぱり女性の年齢には曖昧な部分が残っている。
僕はと言うと、昔ほどは相手の年齢を知りたいとは思わなくなった。
自分より年上か年下か、あるいは「だいたい同世代」というざっくりとしたくくりがわかれば、コミュニケーションのスタートとしては充分だ。

しかし女性の難しいところは、そのざっくりとしたくくりの感覚が通用しない人がいることだ。
相手の女性が、僕が思っていたよりも10歳近くも上でびっくりした経験が、少なくとも3回ある。
女性とは恐ろしい。
いや、でもそれは、こっちが勝手にイメージを作っていただけの話。
思い込みとは恐ろしい、と言うべきだろうか。

ところで。
モーツァルトは4曲の完成されたホルン協奏曲を残している。
この時代の協奏曲は通常3つの楽章で構成されていて、第1楽章は堂々とした快活な楽章、第2楽章はゆったりとした緩徐楽章、第3楽章はやや軽目の軽快な楽章、というのが王道のパターンだ。
モーツァルトのホルン協奏曲も基本的にその原則に従っている。
だけど唯一の例外である第1番だけは、なぜか第2楽章にあたるゆったりとした楽章がない。
本来なら第1楽章と第3楽章にあたる、速い2つの楽章だけで構成されているのだ。
僕が学生の頃に買った、伝説のホルン奏者デニス・ブレインの名盤、モーツァルトのホルン協奏曲集のCDのライナーノートには、第1番の解説としてこう書かれている。

1782年に作曲したアレグロに、5年後作曲したロンドをつけ加えたもので、緩徐楽章のない急速楽章ふたつという変則的な構成になっている。あとからアンダンテを入れるつもりだったらしいが、未完のままに終った。緩徐楽章がないので何か落ち着かず、また後続の3曲にくらべると円熟味がたりないが、それなりの魅力を持っている。

他の曲に比べて落ち着かないというか、楽章が2つしかないので物足りない気がするのは確かだ。
なぜモーツァルトが第2楽章にあたる曲を書かなかったのか、理由はわからない。
でもそれ以上突っ込んで調べる気もなかったので、まあ最初に書いた協奏曲だからでしょ、他の曲に比べてコンパクトなのも第1番らしくていいじゃないか、などとよくわからない理屈で何となく納得していた。

ところが今から20年ぐらい前に、大変なことがわかった。
モーツァルトが使用した五線紙を科学的に分析する研究によって、この曲は第1番ではなく、モーツァルトの死の年に書かれた、最後のホルン協奏曲だったことがわかったというのだ。
やはりモーツァルト最晩年の傑作である「レクエイム」や「魔笛」と平行して書かれていた可能性もあるという。
第1番のゆっくりとした楽章は、書かなかったのではなく書けなかった、つまり彼の死によって未完に終わったということらしい。
これは単に音符が間違っていたというレベルではない、かなり衝撃的な研究結果だ。

ホルン協奏曲第1番が本当に最晩年の作品だとすると、個人的には非常に気になる、ある問題が出てくる。
例のデニス・ブレインのCDの解説だ。
「後続の3曲にくらべると円熟味がたりないが、それなりの魅力を持っている」
これは一体、どうフォローすればいいんだろう。
大真面目に書いた評論家氏には申し訳ないし、もし自分がこれを書いた立場だったらと思うと冷や汗が出るけど、古きよき時代の笑い話としては、なかなかのクオリティじゃないかとしか言いようがない。
情報や思い込みに惑わされすぎると、落とし穴が待っている。

そう言えば、モーツァルトのホルン協奏曲第1番が最晩年の作品だと判明した後に発売されたCDの解説書に、「言われてみれば、晩年の作品であるクラリネット協奏曲とよく似たフレーズが使われており、円熟味のある書法が云々」なんて書いているのを見たことがある。
ずいぶん調子がいい人だなぁなんて思いながら読んでいたけど、これはこれで情報に惑わされすぎている。
もしも大どんでん返しで「やっぱりこの曲は最初期の作品でした」っていうことに万が一なったときは、これも笑い話のフォルダーに直行することになるだろう。

教訓。
情報や思い込みで作られるイメージに惑わされず、最大限に好意的な評価をすること。
そして、女性も曲も年齢の幅は広めに見積もっておくこと。
曲ならともかく、女性に対して「円熟味は足りないけど、それなりの魅力が……」などと口にしようものなら、実際は思っていたよりも10歳も上だったってわかったときに、笑い話では済まされないじゃないか。
女性とは、いや、思い込みとは恐ろしい。


【参考リンク】
・【Horn】モーツァルト ホルン協奏曲第1番【Mozart】 [youtube]

 ベルリンフィル首席、世界最高峰のホルン奏者、バボラクの絶品モーツァルトです。

2009/08/01 12:00 | 音楽の話 | No Comments

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